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マキノのこと(0^~^0)

マキノアキ子とは、20代のころ同じ会社で2年ちょっと一緒だった。
派手な外見とズバズバもの言う性格。アメリカ留学帰りだというけれど、1980年代初頭に中小零細企業にそんな子が働いているのは珍しくもあり、まぁ、そんなところにしか行き場もない時代だったかもしれない。私より6,7年上だった。
ただ、マキノは「アメリカ留学したからって、英語屋さんにはなりたくない」と英語話せる=英語屋さんの式をきっぱり拒否していた。そんな考えは当時新鮮だったかもしれない。



マキノに会って、とにかく最初にショックだったのは、今では当たり前なのだが、「ティッシュペーパーの大量消費」。会社の備品のティッシュペーパーはあっという間に消えてなくなった。
ポワゾンを平気で会社につけてくる奴だった。ポリスでは、スチュワート・コープランドでもアンディ・サマーズでもなく、「スティング」が好きで、当時のプリンスのファンでもあった。

傍から見ている分には、めちゃくちゃ上昇志向が高く、当時の女性としては「出る杭」で、叩かれることも多く、泣いたり、喜んだり、頑張ったり、とにかくくじけない奴だった。その会社はお局ババァが仕切っており、私達技術者は、「お茶汲みをしないというなら、生理休暇は捨てなさい」といった類のいぢめを受け続けていた。そんな中でも、マキノは臆することなく、あっさり、生理休暇を捨て、私達もそれに続いた。(・・・それからこの20年間生理休暇というものは無縁になった)

一度、シンガポールに行ったときにマキノが英語を話しているのを聞いた。普段より低い声でサラサラとよどみなく話すのを見て、「カッチョェェーー!」と感心した。一方でちょっとした仕様の説明の際、堂々とした話しぶりとは対象的に手先がガタガタ震えているのを見たこともあった。
マキノの派手こい外見は、実は相手を試すリトマス紙なんじゃないかとそのとき思ったりもした。

さて、時間が経ち、私は会社を辞めたり、会社自体がなくなったりして、マキノとはもう会う機会もないのだが、あるところで会社を興した話も聞いたし、ときどき何かで名前も見たりする。

その後、私はあちこちの会社で色々な仕事を色々な立場で経験するのだが、地獄の釜の淵に立つといつも「マキノだったらこんなときどうするよ?」と自問自答する。
くじけて投げ出したいとき、悔しくて泣きたいとき、頭の隅にマキノが登場する。奴だったら、絶対逃げない。奴だったら、泣いてあきらめたりしない。
あれから、もう20年近く経って、本物のマキノは変わってしまっているかもしれない。本当はそんなに強くなかったかもしれない。でも、私の心の中にマキノは居続ける。こんな風に利用されているなんて、マキノが知ったらどう思うだろう?などと、考えたりするが、弱い私をマキノは今日も後押ししてくれる。

こういうのを本当は素敵な出会いとは言わないかもしれない。でも、まぁ、この20年はお世話になり続けたわけである。テーマにトラックバックした。まてちゃ
by nekoyasiki_ippuku | 2005-04-19 10:54 | 喜怒哀楽


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