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涙の果てに見えるもの

やがて一週間が終わろうとしている。嘆いても苦しんでも、トイレには行くし髪も伸びる。
火曜日の昼食などは、咽喉も通らなかったが、それ以降、ちゃんと腹だって減っている。

まてちゃ は、今でも宙を見つめては涙している。愛する人の涙ほど辛いものはないが、
何をどう言っても悲しみが救われないことがわかっているだけに、いっぷく も一層辛い。
とはいえ、どうやら自分を責め苛んでいるらしい まてちゃ を前に涙するわけにゆかず、
お互いに顔色を窺いながら、あたりさわりのない世間話をするか、あとは押し黙っている。

不思議なことに、他の猫たちが、妙に甘えたり遊んでみせたり、仔猫のようなことをする。
ふたりを慰めようとしている風にもとれるし、仔猫を見て何か思い出したのかもしれない。
みるくは、得意だったレジ袋の配達を始めたし、オルカは、いっぷく の腕で眠ったりする。
太腿を登ろうとしたり、肩に乗ろうとしたりもするが、それだけは辞退させてもらっている。

小虎への延命もしくは蘇生措置については、いっぷく としては正しかったと思っている。
容態の急変に関して言えば、急変してからでは、何をしても間に合わなかっただろうし、
その前に予兆があったかと言えば、食欲が落ちていたかも知れない、という程度である。
何しろ元気だった。その元気さの裏側に何かが潜んでいるなどとは想像すらしなかった。
もし、わたしたちふたりに落ち度があるとするならば、ここでいう想像力の欠如であろう。

縁とか運とかいう考えを許してもらえるならば、おそらく小虎の「その日」は決まっていて、
許された一生涯の中で最大限の幸せを得るために、猫屋敷を目指したのかもしれない。
人間ともいっぱい遊んだし、餌の心配もなかったし、大猫たちと些細なケンカまでやった。
まてちゃ の枕元で眠ったし、庭のまわりを走ったし、何の不安もなく一日を過ごしたし、
いっぷく の耳たぶを舐めたりかじったりして起こしてみることだって、やってみたのだ。

わずか一週間で、小虎は確かに成長していた。おそらく長ずればさぞ立派だっただろう。
まてちゃ ですら、小虎は去勢せずにブイブイいわしてみたい、とまで考えていたほどだ。
そして、わたしたちふたりは未来を描き、小虎と過ごす日々についていろいろ語り合った。
間違いなく楽しいはずであった将来の喪失。そこここに残る楽しかった過去の残骸たち。
行方知れずになったり、事故にあったりせず、わたしたちの腕の中で逝った小さな未来。

いっぷく  まてちゃ も、それほど若くはないし、だんだんと身体にもガタがきつつある。
幼い頃には天使のようだった子供たちだって、今となっちゃ酒も呑めばタバコだって吸う。
今では重くて抱きつづけられないオルカたちだって、2匹で いっぷく の懐に入ったのだ。
仔猫の愛らしさが、ほんの一瞬の輝きであることも、充分すぎるほど体験してきている。
20年後を考えて仔猫とはもう暮らせないと思っていたが、それでも小虎と生きたかった。

あれこれ思いつくままに書いたが、書くことによって、この悲しみが癒えるわけではない。
あまりに愛あふれる出会いであり、あまりに悲しすぎる別れであった。それは事実である。
しかし、また新しい出会いがあるだろう。そのためにも日々暮らしていかなくてはならない。
いつか深い悲しみが輝く愛に変わるまで、そして、再び小さな命と出会うその日のために。

いっぷく
by nekoyasiki_ippuku | 2005-07-01 13:46 | 猫たちのこと


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